世界で初めて人体に透析治療が行われたのは1926年だそうです。そして日本で透析医療に対して保険適応が認められたのは1967年です。つまり、日本で透析医療が行われるようになってまだ60年弱です。
その中で私は、透析歴20年を超えています。20数年前に大学病院で透析導入し、その後、自身の病状と合併症など主治医との相談・指導の下、自身が望む透析を求めて透析施設を替わってきました。私にとって三郎記念クリニックは6軒目で、ここでの透析歴はまだ2年弱です。かつて、過渡期にあった透析療法でしたが、体調の変化や合併症などが起こるたびに私は大きな不安に包まれました。
私は、透析患者にとって透析施設選びは長く生きるために大変重要なことだと考えています。20年前と比べると今日の透析は、大きな進歩を遂げてきたと思います。しかし、私が導入した当時は、透析医療は進歩・発展していく過程であり、透析療法の新しい考え方が出てきたり、ダイアライザーや透析装置、医薬品などがどんどん良くなっていく中で、透析療法に関する新しい情報に常に敏感になるように心がけてきました。そしてそれは、ある方の言葉が私の心を動かしたからです。
「おまかせ透析はアカン!!」 これは、12歳から透析をはじめ、仕事とは別に腎友会でボランティアをしながら55歳で短い人生を終えられた故森本さち子さんの言葉です。私が透析を始めた頃に出会うチャンスを頂き、この言葉を聞いたことが私の透析人生に大きな影響を及ぼしました。
この方は、遺伝性のアルポート症候群のため12才で透析導入、その後、長きに渡る透析生活で良かったこと辛かったことなど、透析にまつわるご自身の体験談を近年ブログ(さっちゃんの元気予報)やFacebookで語り、多くの支持を集めておられた方です。常に明るく前向きに生きておられ、「命をつないでもらっている私たちにできることは、きちんと社会生活を送ることなんです。」と勇気づけてくれました。
今日では、透析療法は既に確立されていると感じていて、今後、新しい治療法を求めて転院することはないと思います。とはいえ、透析を始めたばかりの方々は、私が経験してきたように大きな不安に包まれていると思います。そういった方々に透析の先輩として、“さっちゃん”のように有益な情報を発信できればと考えています。今の私は、信頼できる主治医とスタッフに支えられて、「いい透析」を受けることができており、大変満足しております。
最後に一つ声を大きくして伝えたいことがあります。三郎記念クリニックは、透析患者の送迎サービスを無料で行ってくれています。最近では、透析クリニックで送迎サービスをしていることは当たり前と思いがちですが、全国、いえ兵庫県下においても送迎サービスをされていない透析施設がまだまだ多くあるのです。送迎サービスがない場合、自身で週3回通院することは大変なことです。自分自身で車を運転するか、家族に送迎を依頼するか、介護タクシーを利用するしかありません。家族などの近親者に協力をお願いする場合、その家族の大きな負担になります、介護タクシーでは月13回の往復にかかる費用は大きな負担になります。送迎サービスをしていただいていることに改めて感謝し、今後も長く通院させていただきたいと考えています。