三郎記念クリニック
三郎記念クリニック
患者さまの声
患者さまの声
W.E様(75歳)男性の奥様  女性 66歳
「一日でも長く一緒に・・・」

現在75歳の主人が、透析を始めたのは52歳のころで、その当時は、こんなに長く透析が続けられるとは想像していませんでした。
私の主人は、以前は「猪突猛進型」で仕事一筋、私には「黙って俺についてこい!」と亭主関白を地で行くタイプの人でした。そもそも、多くを語る人ではなく、毎年、職場の健康診断を受けても何も話してくれないので、私も気にしていなかったのですが、突然、主人から「腎臓が悪くなっている」と打ち明けられたのは、透析を始める数年前でした。栄養士の資格を持つ私は、慌てて腎臓の本を買って勉強し、食事も工夫し始めましたが、もっと早く気づいていたなら・・・と、とても悔やまれました。
幸い義兄が既に透析治療を始めていたので、いろいろ話を聞かせてもらい、本人は透析を始めることに対する不安はなかったようです。しかしその当時、医師から「透析を始めたら余命は5年くらい」と言われたので、大学生と高校生だった二人の娘と私は、将来への不安を抱えると同時に、大きな決断をする必要がありました。高校生だった次女は、幼稚園の教諭になる夢を持っていましたが、少しでも早く家計を支えられるようにと、大学進学を諦めて看護学校へ進学し、看護師になってくれました。娘が一生懸命考えて決断してくれたことは大変嬉しかったのですが、夢を断念させたことを申し訳なく思う気持ちは今も消えません。
現役時代の主人は、職場で責任ある役割を担っていましたが、透析を始めたことによりそれ以降、出世・昇進は諦めたようです。職場には、病気などによる時短勤務や休業取得に関する就業規則はあるものの、実際に申請しにくい雰囲気がある中、「皆が制度を使いやすくなるように自身がそのモデルケースになろう」と、その制度を利用して、月水金の午後から仕事を切り上げ、透析通院し、職場内での意識改革を図るべく取り組んでいたようです。
うちには4人の孫がいますが、私が少しヤキモチを焼くくらい、皆おじいちゃんを慕ってくれています。少しゆる~くなっているせいか、おじいちゃんは、孫には何をされてもじっとしています。そのように孫たちと触れ合っている主人の様子を見ている時が、微笑ましく一番楽しいひと時です。
そして、改めて「これまでの透析療養生活で一番つらかったことは?」と聞かれたら、今が一番つらいと思います。透析自体は、週3回時間を取られますが、その時間以外は自由に使えるわけですから、旅行に行ったり家族で集まったりと普通に過ごすことができます。ですから、これまで週3回透析をしていても、主人の体調が良ければ何の負担も感じませんでした。しかし、主人は今、他にも大きな病を併発し、つらそうにしている様子を見る機会が増え、その主人を見ていることが一番つらいと感じます。
主人が透析を始めた当初、余命宣告をされましたが、恐らく、透析の治療方法もその当時に比べ大きく進歩しているのだと思います。お陰様で、主人は透析を始めて23年たった今日も元気に生活しています。この点については、透析治療をクリニックにお任せし、安心して主人を預けられるので、いつもクリニックのスタッフの皆さんに感謝しています。
今は、近くに住む長女が、私の相談相手になり、また、何かあった場合は、夫婦ですぐに駆け付けてくれるので、私の大きな支えになっており大変助かっています。今後は、これまで家族を引っ張ってくれた主人を、私をはじめ長女・次女、家族みんなで支えていきます。家族としてあらゆる状況を受け入れる覚悟をしているつもりですが、「一日でも長く生きてほしい」というのが家族みんなの思いです。
「がんばってね!おとーさん」。